鳥取県歯科医師会 会員
さとう歯科クリニック院長
佐藤 亮
はじめに
スポーツ人口と競技数の増加,競技の多様化ならびに競技レベルの高度化と相まって、スポーツによる外傷は増加傾向を示している。中でも顎顔面領域は常に被覆防護のできない部分であり,位置的にも形状的にも外力を受けやすく,外傷の発生頻度は比較的高いと報告されている。
近年、予防歯科に対する関心が徐々に高まり,う蝕(むし歯)は減少し、軽症化してきたが,アクシデントである外傷によって健全な歯を失うことが増加している。
このたびの講座では,顎口腔領域の外傷予防(マウスガードについて)を中心に,顎口腔領域の外傷発生状況や,スポーツ現場における歯牙外傷の応急処置(とくに脱臼歯:歯が抜け落ちてしまった場合)について講義がなされた。
第1部:歯科口腔における歯の外傷分野の統計について
- 顎顔面領域における外傷の原因
交通事故、転倒・転落、スポーツ外傷に分類し、自転車運転中に転倒が多く、スポーツ競技種・スポーツ人口の増加で歯の外傷は増えている。 - 顎顔面領域スポーツ外傷の年齢別発生頻度
9歳未満では遊びの中で、10歳~20歳代は体育クラブ活動中・対抗試合中が多い。 - 顎顔面領域スポーツ外傷の男女別発生頻度
コンタクトスポーツが多いため男性が多い。今後は女性も増えてくる。 - 種目別の顎顔面領域スポーツ外傷の発生頻度
地域差はあるが、野球・スキー・ラグビー・バスケットが多い。 - 対人・対物別の顎顔面領域スポーツ外傷の発生頻度
ラグビーでは人に、野球などではボールにあたることが多い。 - 顎顔面領域スポーツ外傷の受傷部位別発生頻度
上顎前歯、下顎骨折が多く、小児では複数歯にわたることがある。 - スポーツ等活動内容別の傷害発生率(平成8年度)
- 傷害部位別の発生頻度(平成8年)(スポーツ安全協会による)
全6559例中、頭部顔面外傷は7.4%で、口は0.4%、歯は0.9%であった。 - 平成13年度傷害見舞金の状況
歯牙外傷に対する件が多い。 - 平成13年度傷害見舞金の状況(中学校)
歯牙障害は35%で休憩中の発生が多い。 - 平成13年度傷害見舞金の状況(高等学校)
歯牙障害は51%で部活中の発生が多い。 - 歯牙破折とスポーツ競技種目の関係(平成13年度日本体育・学校保健センター報告)
- 球技中に発生することが多い。中学校ではバスケットボール、サッカー、高等学校ではバスケットボール、野球、サッカーの順に多い。全体ではバスケットボールが圧倒的に多い。
- スポーツによる顎顔面骨骨折の統計調査
顎顔面骨骨折全症例(1997~2000)のうちスポーツによるものは16,9%
第2部 歯牙損傷とその安全対策について
- 歯牙損傷の分類歯冠破折(不完全破折、完全破折)、歯根破折(歯冠側破折、根尖側破折)、脱臼(不完全脱臼、完全脱臼)、嵌入(部分嵌入、完全嵌入)
- 圧力の方向から見た歯牙損傷外傷性歯根膜炎、歯冠・歯根破折、脱臼、嵌入
- 歯牙脱臼時の応急処置脱離歯の再植処置の予後を左右する因子
①再植まで口腔外にある経過時間
②再植されるまでの保管の状態受傷者の舌下部に保存させるか、ミルクや生理的食塩水の中に浸漬保存し、可能な限り早急に歯科医による適切な処置を受ける。この際、歯根面を把持しないように注意する。 - 脱臼歯の再植後の追跡調査結果(全110歯)脱臼して30分以内に再植した場合は10%に歯根吸収あり脱臼して2時間を超えてから再植した場合は95%に歯根吸収あり
- 脱臼歯の保存液歯牙保存液「ネオ」が販売されている。
- スポーツに起因する顎顔面外傷に対する初期診査
①バイタルサインのチェック
②気道の確保
③出血の処置
④局所の診査 - 頭部外傷(脳震盪)の発生機序頭部外傷→頭部が激しく動く(加速)あるいは激しい頭部の動きが急に止まる→脳の歪み
- 脳震盪の発生頻度とその影響脳震盪を繰返すと、パンチドランカーのような認知機能障害が起こることが知られており、最近では軽度の脳震盪であっても、2回目で一気に致命的な状態になることがあることが分かってきた。
- 脳震盪を起こした場合の診査
*脳震盪を起こした選手に水を浴びせ、再びプレーさせることは、非常に危険である。
*約10分間経過後、意識障害、頭痛、頚部痛が無く、記憶などが正常であればプレーを続行可能といわれている。
*意識の有無の簡単な審査法
①開眼しているか
②命令に応じられるか
③話せるか
*頭頚部を強く打った選手は、ふらついたりする平衡機能障害がみられる。
①閉眼起立・片足立ちできるか
②ユビで鼻を触られるかなどのバランスのチェックをし、平衡機能障害の無いことを確認する。 - 日本ラグビーフットボール協会安全対策マニュアルの頭部打撲(脳震盪を含む)あるいは頚部損傷を疑う場合のチェック事項
①君の名前は
②今日は何月何日何曜日か言ってごらん。
③今何をしているのかわかる?
④相手チームとグラウンドの名前を言ってごらん。
⑤目を開けたり閉じたりしてごらん。
⑥頭が痛かったり吐き気がする?
⑦(指を一本眼の前に出し)はっきり見える?
⑧手や足がしびれていない?
⑨腕を曲げてごらん、伸ばしてごらん。
⑩足をまげてごらん、伸ばしてごらん
⑪立って膝の屈伸を2・3回してごらん(自分で)
⑫少し(2~3m)走ってごらん。 - スポーツ障害(外傷・障害)の安全対策
<スポーツ外傷> 外因性障害・・・怪我
予防→
①体力・技術の向上
②ルールの遵守・改正
③スポーツ環境の改善
④器具・用具および防具の正しい使用<スポーツ障害> 内因性障害・・・使いすぎ症候群
予防→健康管理(メディカル・チェック)
第三部 マウスガードについて
- マウスガードとは
外傷から歯および歯周組織を保護し、口腔外傷を減じることを目的に装着される口腔内弾性装置 - マウスガード装着義務のスポーツ(完全義務化)
①アメリカンフットボール
②キックボクシング(プロ・アマチュア)
③ボクシング(プロ・アマチュア)
④テコンドー - マウスガード装着義務のスポーツ(一部義務化)
①アイスホッケー
②インラインホッケー
③空手道
④ラクロス
⑤ラグビー - マウスガード装着推奨のスポーツ
①アクロバット
②ラケットボール
③バスケットボール
④スケートボード
⑤乗馬
⑥ソフトボール
⑦体操
⑧バレーボール
⑨レスリング
⑩武術
⑪野球
⑫砲丸投げ
⑬ボクシング
⑭サッカー
⑮自転車競技
⑯スキー等々 - ボクシング・スパーリング(3分)での口腔外傷の発生
- マウスガードを常時装着している群と装着していない群の外傷発生率の比較
常時装着群 :92%外傷なし
常時未装着群:25%外傷あり - マウスガードを常時装着している群と装着していない群の外傷の比較
常時装着群 :軟組織損傷がある他無し。
常時未装着群:軟組織損傷が多く、歯牙破折、歯の脱臼その他あり。 - マウスガード装着の効果
①歯の障害防止
②口腔組織(口唇、頬、舌)の外傷防止
③顎骨および顎関節の障害防止
④頭頚部外傷の防止
⑤心理的効果およびパフォーマンス向上
⑥経済的効果 - マウスガードの脳震盪軽減効果に関する仮説
①下顎骨に外力が加わったときに上顎骨、顎関節および頭頚部へと伝達される有害な力をマウスガードで吸収・分散させうる。
②マウスガードを噛みしめることにより頚部周囲筋群の活動性が増し、頭部回転加速度を減少しうる。 - マウスガードの具備条件
①歯および歯周組織によく適合し、歯と上下顎に加わる衝撃を十分に吸収分散する。
②発声、呼吸など口腔諸機能を妨げず、競技に集中できる。
③着脱が容易で、競技中に脱落しない。
④人体への為害性がなく、不快な味や臭いがしない。
⑤耐久性に優れる
⑥安価で、比較的製作調整が容易である。 - マウスガードの種類
<カスタムメイド・マウスガード>
競技者個々の歯列模型上で製作されるマウスガード
①ロストワックス法
②シート法<マウスフォームド・マウスガード>
スポーツ用品店等で購入可能な市販のマウスガードのうち、選手が適宜調整して使用する半既製マウスガード
①Boil&Bite(温湯加熱型)
②Shell&Liner(2層構造型)<ストック・マウスガード>
スポーツ用品店などで購入可能な市販マウスガードのうち、調整不可能な既製マウスガード - 選手が所有しているマウスガードの種類(北海道学生アメリカンフットボール選手)
マウスフォームド・マウスガード:84%
カスタムメイド・マウスガード:1% - マウスガードの不満点(%)
①会話しにくい21%
②違和感がある14%
③呼吸しにくい10%
④吐き気がする9%
⑤つばがよく出る8%
⑥変な味がする6%
その他 - 成長期のマウスガード
①乳歯・歯根未完成の永久歯の損傷は可能な限り避ける
②成長期の各種コンタクトスポーツに参加するものには
A :マウスガードを装着の推奨
B:マウスガードを継続して使用する動機付け - 歯科矯正中のマウスガード
A:歯列の矯正装置(ブラケットやワイヤー)により口唇や頬などの口腔軟組織に大きな損傷がおきやすい B:動的治療中の歯は、不安定な状況下にあるため、大きな外力が加わったときには、脱臼が容易におこりうる。
C:コンタクトスポーツなどに参加する場合には、マウスガードの装着が望ましい。 - マウスガード普及のために解決されるべき課題
①マウスガードそのものを知る機会がないこと。
②マウスガードの入手がまだ容易でないこと。
③歯・口腔への意識が、う蝕や歯周病などの疾病対象であること。
④歯学部教育において確立されていないこと。
⑤安全に対する意識が十分でないこと。 - クラブ活動をしている中学生を対象とした調査
①クラブ活動中に顎顔面口腔領域のスポーツ外傷経験のある生徒25%
②マウスガードを知っている生徒 35%
③マウスガードを装着した経験のある生徒 0% - 埼玉県の中学校および高等学校の養護経論を対象としたマウスガードに対する質問調査
①「マウスガード」という名称を知っている
中学校 81.6%
高等学校 85.8%
②マウスガードの装着経験がある
457人中2人
③養護教育の養成過程で「マウスガードの講義」を受けた
457人中3人 - 児童生徒へのマウスガード教育のポイント
①自分の大切な体や歯、あるいは相手の安全を考えて装着するものであること。
②装着を続けるには「自分の健康や安全を自分で作ろうという意識 が大切なこと。
③スポーツにより歯や口腔に外傷を受ける機会があり、場合によっては歯の喪失や顎骨の骨折あるいは軟組織の障害をもたらす可能性が常に存在すること。
④マウスガードを装着することで、その危険性を低下させることができる。
⑤マウスガードの装着により、嘔吐感、発音障害の発生することがあること。発音障害は、サ行、タ行、ラ行などで発生するが、ある程度は調整でき、これらの違和感は、使用するなかで徐々に改善されること。 ⑥う蝕や歯周疾患は装着前に治療を完了しておくこと。
⑦定期的に(1年に2回程度)に来院してチェックを受けること。
⑧使用頻度、発育途上にある年齢かどうかなどの要因で作り替える期間が異なること。